先日、映画「アンダルシア女神の報復」を観た。一昨年ヒットした「アマルフィ女神の報酬」の劇場映画第2弾と云うので期待していたら、残念乍らガッカリした。話が複雑すぎてアンダルシアの景色も楽しめなかった。
21年前にスペイン旅行をした時、映画に出て来る「ロンダ」の街で 断崖絶壁に掛かる巨大な石橋に感心した記憶があります。その当時は、スペインの知識もあまりなく、ロンダがアンダルシア有数の観光地とも知りませんでした。また、その橋が有名なヌエボ橋とも知らず、橋から見下ろす崖ぷっちの家のテラスで 主婦が洗濯物を干しているのを、何故か鮮やかに覚えています。
1990年 観光客も少ない「ヌエボ橋」での記念写真。
(まだ私はヒゲも黒く、髪の毛もありましたね)苦笑。
21年前は、そんなに観光客もいず、のんびり観光馬車が客待ちしてた。
橋から見下ろす左側の断崖絶壁に建つ家のテラスで、洗濯物を干す主婦。
そして、映画に出て来るホテル「パラドール」は、18世紀の旧市庁舎建物を改築して出来たホテル で、100メートルを越す絶景を見下ろすヌエボ橋のたもとに立地しています。
※映画に興味のある方は、http://www.andalucia-movie.jp/
人生は 旅。 さぁ 風に吹かれて旅へ出よう。
吹く風は、喜怒哀楽 永遠に解けない悩み 惑いの風・・・。
山頭火は詠う「何を求める風の中ゆく」
そして、ボブ・ディランは歌う「答えは 友よ風の中にある」と。
2011年7月20日水曜日
奥能登・珠洲紀行。
先日16日〜17日と友人達と一緒に奥能登・珠洲へ、ある日本画家のアトリエを訪ねる旅をしました。
その方は、日本画家・美人画で有名な伊東深水さんの息子・勝田深氷さんです。お姉さんは、あの朝丘雪路さんです。
深氷先生は、アトリエ探して日本全国 色々巡り、辿り着いたのがこの珠洲だそうです。また1年の半分は、サンフランシスコで仕事をされているとの事。アトリエ兼自宅の入り口には、表札なんかが全くなく、道路から竹林へ入って行く為、気がつかず通り過ぎてしまいました。
道路からアトリエ兼自宅の玄関へと続く竹林のアーチの小道
太い竹に「松」の小枝を結び、客を「待つ」印にした洒落た心使いに感激!
玄関へと続く小道にある葦葺きの門。
門から見えるアトリエ兼自宅の葦葺きの屋根。
玄関には「勝東庵」と有りました。
玄関の桜が描かれた6枚の板ふすまの前で出迎えられた奥様。
気さくでお話の好きな方で 2時間近くもお相手して下さり、その間 奥様が美味しいお茶とデザートでおもてなし下さりました。お話も絵の話ばかりでなく、有名な文豪との交流や日本文化と多方面に渡り、面白く聞き惚れてしまいました。
おもてなしも奥様がテーブルコーディトされた素敵な演出で感激。
ふと外を見ると、孟宗竹・しだれ桜と白砂の素敵なお庭が。
見送りに出られた勝田ご夫妻と記念写真。
夕方 勝田ご夫妻に見送られて「勝東庵」を失礼し、友人の珠洲焼作家・篠原敬さんの奥さんがプロデュースされている古民家ギャラリー「舟あそび」を覗きました。
●興味の有る方は:http://f-asobi.com/
古民家ギャラリー「舟あそび」の入り口のディスプレー。
珠洲焼作家・篠原 敬さんの常設展示室。
そして、夕食は割烹「龍泉」で素敵なインテリアの中、美味しい創作料理を堪能し、奥能登の充実した1日が終わりました。 割烹「龍泉」の入口。
龍泉の素晴らしい客室インテリア。
青竹に素敵に盛付け出された鮎の塩焼き。
その方は、日本画家・美人画で有名な伊東深水さんの息子・勝田深氷さんです。お姉さんは、あの朝丘雪路さんです。
深氷先生は、アトリエ探して日本全国 色々巡り、辿り着いたのがこの珠洲だそうです。また1年の半分は、サンフランシスコで仕事をされているとの事。アトリエ兼自宅の入り口には、表札なんかが全くなく、道路から竹林へ入って行く為、気がつかず通り過ぎてしまいました。
道路からアトリエ兼自宅の玄関へと続く竹林のアーチの小道
太い竹に「松」の小枝を結び、客を「待つ」印にした洒落た心使いに感激!
玄関へと続く小道にある葦葺きの門。
門から見えるアトリエ兼自宅の葦葺きの屋根。
玄関には「勝東庵」と有りました。
玄関の桜が描かれた6枚の板ふすまの前で出迎えられた奥様。
気さくでお話の好きな方で 2時間近くもお相手して下さり、その間 奥様が美味しいお茶とデザートでおもてなし下さりました。お話も絵の話ばかりでなく、有名な文豪との交流や日本文化と多方面に渡り、面白く聞き惚れてしまいました。
おもてなしも奥様がテーブルコーディトされた素敵な演出で感激。
ふと外を見ると、孟宗竹・しだれ桜と白砂の素敵なお庭が。
見送りに出られた勝田ご夫妻と記念写真。
夕方 勝田ご夫妻に見送られて「勝東庵」を失礼し、友人の珠洲焼作家・篠原敬さんの奥さんがプロデュースされている古民家ギャラリー「舟あそび」を覗きました。
●興味の有る方は:http://f-asobi.com/
古民家ギャラリー「舟あそび」の入り口のディスプレー。
珠洲焼作家・篠原 敬さんの常設展示室。
そして、夕食は割烹「龍泉」で素敵なインテリアの中、美味しい創作料理を堪能し、奥能登の充実した1日が終わりました。 割烹「龍泉」の入口。
龍泉の素晴らしい客室インテリア。
青竹に素敵に盛付け出された鮎の塩焼き。
2011年7月8日金曜日
今、話題の「川越達也&樫木裕実」2つのイベント。
2011年7月6日水曜日
東茶屋街「藤としの松」の思い出。
先日、北國新聞に作家の村松氏が「藤としの松」について書かれていました。それを見て私も36〜37年前の苦い出来事を思い出しました。
私が30歳でデザイナーとして独立して間もない頃、東京へ出た同級生が突然 訪ねて来て金沢出身なのに「茶屋遊びも知らないのか」と馬鹿にされたので「ぜひ、東茶屋街で一度遊びたいので世話を頼む」と云うのです。私もその頃はお金も無く 行った事も無く、一見さんでは上がれず、金沢在住の同級生で行った事のあるインテリアデザイナーを呼び出した。しかし、彼も自分で行った事は無く、スポンサーに連れられて行ったのみだったので、そのスポンサーの名前を無断で勝手に使い予約した。(もう時効ですよね。苦笑)
世間知らずの同級生3人でウキウキして「藤とし」へ上がった。そしたら何故か写真の「松の間」へ通され、やたら感心していたら 酒や肴が沢山 出てくるわ 芸妓が沢山来るわで 3人共 すっかり舞い上がってしまった。
悪い事に東京の親友が太鼓を覚えて帰ると言い出し、とうとう 3時間も居座る結果となった。(その間、芸妓は入れ替わり立ち代わり9人ほどやって来た)
そして、帰る段になってお金は誰が払うのだと気が付いた。お互いが誰かが払うと思っていたので大騒ぎになり、3人でポケットの有り金全部を集めた。が 8万円ほどしかなく、それで足りるはずも無いとようやく事の重大さを知り、誰か女将に謝りに行く事になり、しかたなく私が代表で女将の部屋へ行った。
女将は、土下座する私に向かって「私もおかしいなぁ〜と思っておったのや、若い身でこんなに長居して、でも贔屓のスポンサーでの予約客やさかい大事にせなと思って」と呆れて笑った。そして、後日不足のお金を振り込む事とスポンサーの名前を語った事を内緒にして頂く事をようやく承知して頂いた。また、帰り際に「ここへ来る時は、食事を済ませてから来て1〜2時間ほどでさっと引き上げるのですよ」とやさしく忠告してくれた。
そして、これには後日談があります。10年後ぐらいに また「藤とし」へ上がる機会があったので、思い切って女将に会いに部屋を訪ね「昔そんな事があって、お許し頂いた事のお礼をあらためて」と云うと、女将が「それは亡くなった私の母の事ですね」と笑った。また恥をかいた。もう若女将の時代になっていたのですね。(苦笑)
私が30歳でデザイナーとして独立して間もない頃、東京へ出た同級生が突然 訪ねて来て金沢出身なのに「茶屋遊びも知らないのか」と馬鹿にされたので「ぜひ、東茶屋街で一度遊びたいので世話を頼む」と云うのです。私もその頃はお金も無く 行った事も無く、一見さんでは上がれず、金沢在住の同級生で行った事のあるインテリアデザイナーを呼び出した。しかし、彼も自分で行った事は無く、スポンサーに連れられて行ったのみだったので、そのスポンサーの名前を無断で勝手に使い予約した。(もう時効ですよね。苦笑)
世間知らずの同級生3人でウキウキして「藤とし」へ上がった。そしたら何故か写真の「松の間」へ通され、やたら感心していたら 酒や肴が沢山 出てくるわ 芸妓が沢山来るわで 3人共 すっかり舞い上がってしまった。
悪い事に東京の親友が太鼓を覚えて帰ると言い出し、とうとう 3時間も居座る結果となった。(その間、芸妓は入れ替わり立ち代わり9人ほどやって来た)
そして、帰る段になってお金は誰が払うのだと気が付いた。お互いが誰かが払うと思っていたので大騒ぎになり、3人でポケットの有り金全部を集めた。が 8万円ほどしかなく、それで足りるはずも無いとようやく事の重大さを知り、誰か女将に謝りに行く事になり、しかたなく私が代表で女将の部屋へ行った。
女将は、土下座する私に向かって「私もおかしいなぁ〜と思っておったのや、若い身でこんなに長居して、でも贔屓のスポンサーでの予約客やさかい大事にせなと思って」と呆れて笑った。そして、後日不足のお金を振り込む事とスポンサーの名前を語った事を内緒にして頂く事をようやく承知して頂いた。また、帰り際に「ここへ来る時は、食事を済ませてから来て1〜2時間ほどでさっと引き上げるのですよ」とやさしく忠告してくれた。
そして、これには後日談があります。10年後ぐらいに また「藤とし」へ上がる機会があったので、思い切って女将に会いに部屋を訪ね「昔そんな事があって、お許し頂いた事のお礼をあらためて」と云うと、女将が「それは亡くなった私の母の事ですね」と笑った。また恥をかいた。もう若女将の時代になっていたのですね。(苦笑)
2011年7月5日火曜日
岸ミツアキお喋り&ジャズコンサートVII。
7月2日(土)の夜、羽咋の小児科の轟先生からご招待を受けて東日本大震災チャリティーイベント「岸ミツアキお喋り&ジャズコンサートVII」へ出掛けました。先生がご夫婦で「とどろき医院」を開業される時、シンボルマークやロゴ等をデザインさせて頂いたご縁で、ここ毎年ご招待され感謝しております。
1991年に我社でデザインしたシンボルとロゴタイプ。
ジャズ・ピアニストの岸ミツアキさんは、普通のコンサート活動以外にもユニークな「学校でのライブ」「病院での癒し系ライブ」「イベントやパーティ」等、様々な幅広い演奏活動をされてる方です。
岸さんを知りたい方は、http://www.kishijazz.com/index.html で! 岸さんのホームページ。
お喋りも大変面白く会場は爆笑続きでした。今回もアンコール演奏時に「羽咋で白衣のコンサート」と云う訳で、お医者さんスタイルで演奏され大受けでした。
お医者さんスタイルで演奏する岸ミツアキトリオ。
あっと云う間の楽しい2時間あまりでしたが、会場の外へ出たら広場の「万燈会」の無数の灯が優しく包んでくれました。こうして平和を祈って穏やかに暮らせる幸せを噛み締めた一夜でした。 合掌
「がんばろう日本」等が灯文字となる「能登万燈会 in 羽咋市」
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