2017年11月23日木曜日

中国・西安旅行記ー4日目(最終日)

今日は「西安市内観光」へ。
玄宗と楊貴妃ゆかりの「興慶宮公園」〜  空海ゆかりの「青龍寺」〜  城塞都市 西安の「西の城門・城壁」〜  最後に広大な「大明宮遺跡」までのコース。そして 旅行の最終日。

1:「興慶宮公園」
興慶宮公園は、唐の玄宗皇帝の離宮・興慶宮があった場所で遺跡に基づいて復原した文化遺跡の公園。敷地面積は52万ヘクタール。園内には 花が多く牡丹の名所で知られ、唐玄宗と楊貴妃がよく遊んだと言われる「沈香亭」があります。唐玄宗も色々な牡丹を植えたそうです。
玄宗と楊貴妃は、ここで享楽にふけり、文人 李白を呼んで歌を詠ませ、芝居をさせた。李白はこう詠んだ「名花 傾国 ふたつながら相歓ぶ、常に君王の笑いを帯びて看るを得たり、解釈す春風無限の恨み、沈香亭北 欄干に倚る」 (名花と傾国の美女は 互いに照り映え これを君主は満悦至極にみつめている 沈香亭の欄干によりかかって名花と美人をめでていると 春の愁いや恨み言など跡形もなく消えてしまうのだ)・・・そして 国は傾いていった。
日本の遣唐使・藤原清河と留学生・阿培仲麻呂もここを訪れた。園内には「阿倍仲麻呂」の記念碑が建つ。阿培仲麻呂は、遣唐使として来唐。その後、役人として仕え、とうとう日本に帰国出来なかったそうです。
唐玄宗と楊貴妃がよく遊んだと言われる瑠璃瓦の「沈香亭」。

公園内で水で漢詩を書く老人。毎朝 来て書いているそうです。

「阿倍仲麻呂」の記念碑。

2:「青龍寺」
青龍寺は、真言宗の開祖・弘法大師空海が遣唐使として留学中、師匠の恵果阿闍梨から仏教を学んだお寺。空海 弘法大師は 遣唐船で中国へ渡り、2年間で仏教の全てを習得。帰国して高野山で天台宗を開いた。青龍寺は、その原点の場所。
日本からの寄贈で空海記念碑恵果・空海記念堂が建つ。日本の四国四県から贈られた桜の木が沢山あり、春には多くの市民が訪れるそうです。また、四国八十八カ所巡りの0番札所という事も初めて知りました。元首相 管直人氏の記帳もありました。

青龍寺入場券。

日本から寄贈の空海記念碑」。

頂いた御朱印帳。

空海の書跡。

四国八十八カ所巡りの0番札所」の説明。


3:「西の城門・城壁」
安定門は、創建当時 城壁中最大の門。シルクロードの発着点であった為、城壁内で最も重要な城門だった。門は二重になっており、その間の広場は高い壁に囲まれている。当時 唐の都・長安は人口100万人の世界最大の都市。その広大な城壁に歴史ロマンが積み重なっていた。
西安古城壁は、完全に保存されている世界最大の古代城壁。また、世界で最も整った古代の軍事砦として有名。 城壁は、唐の長安城を基礎に明の洪武年間(1370年~1378年)にかけてレンガを積み重ねて築かれた。 城壁は、周囲13912メートル、高さ12メートル、底の幅18メートル、頂部の広さ15メートル。 厚さが高さより大きい堅固な城壁。一周が14km。城壁の上には、レンタサイクルがありましたが、自転車で廻っても2時間は掛かると言われ諦めた。(笑)
城壁内で最も重要な「安定門」。

城壁の上。こんなに長く広い道になっていて驚く。


城内のいたる所で結婚する新郎新婦が前撮りしてました。


4:「大明宮遺跡」
大明宮遺跡紀元634年に建てられ、唐高宗から唐代歴代の皇帝がここに住んで国政事務を処理し、200年余り唐の政治・文化の中心地となった処。
2010年、西安大明宮国家遺跡公園として開園。敷地面積は、3.5平方キロメートル。広さは有名なニューヨーク中央公園とほぼ同じ。西安市における最大の中央公園です。
現在、大明宮遺跡の発掘面積は1%。予想では、大明宮遺跡の発掘は少なくとも200年間も掛かるそうです。
正南門にあたる丹鳳門が復元されており、内部は博物館。

大明宮の正殿にあたる含元殿遺址は、有料エリア。
とにかく広く丹鳳門から有料エリアの入口まで歩くだけでも10分以上掛かります。


さあ、今日で全ての観光スケジュールが終わった。
午後10時頃、西安空港を発ち大連へ。真夜中に大連のホテル着。
そして、朝6時ホテル出発、帰国の途へ。
老体には、殺人スケジュールに見える。(苦笑)
でも、自分の好奇心が駆り立てた西安の旅。色々中国の風土にチカラを貰った。
ありがとう中国!!!







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