2011年5月24日火曜日

霧のマカオ紀行。

過日、マカオへ3泊4日の旅をした。
自粛自粛ムードの中だったので、帰国しても誰にも云えない雰囲気で困ったものでした。現在は、一変して今度は自粛ムード一掃キャンペーンとか? 何と日本人は、片方に針がブレ過ぎるのでしょうか?
(ブレるのは、首相ばかりじゃなく国民もですね)苦笑。
小松空港では、気まずい雰囲気の出発でしが、マカオ空港に計器をもった防護服の検査員がいたの驚きました。
1日目は、夜遅くマカオに着き、そのままベットへ。
2日目は、1日中 歴史地区の世界遺産群を観光を。
3日目は、話題のベネチアンホテルを始め、巨大ホテル群のハシゴです。

       宿泊したグランドビューホテル。(ホテルのHPよりの画像)

          霧にけむるマカオ市内のビル群。

    歴史地区の代表的観光の聖ポール天主堂。マカオの象徴です。

      同じ歴史地区の有名なセドナ広場。縞模様が美しい。

     歴史地区では、かのマクドナルドもこんな佇まいです。

マカオは、観光的に歴史地区にある20以上の建築や広場などの古跡を含む地区が有名であり、かつてのポルトガルの植民地であったマカオにおける東西文化のユニークな同化と共存を窺い知ることができます。2005
年、中国で31番目のユネスコ世界遺産に登録されたいます。

マカオは、実は40年前ぐらいに一度行った事があるのですが様変わりでした。今では、『東洋のラスベガス』と言われ、2006年のカジノ売り上げが69億 5000万アメリカドル(約8400億円)に達し、これまで世界最大であったアメリカのラスベガスの推計65億ドルを超え、世界最大のカジノ都市となっ た。カジノ市場の対外開放からわずか4年でカジノ都市として世界首位に躍り出た背景には、膨張する中華人民共和国の経済からあふれ出る「チャイナ・マ ネー」と、新たな市場であるマカオの国際カジノ産業に流れ込む外資があると分析されているそうです。とにかく、どのホテルのカジノも中国人であふれかえっていました。

 巨大なベネチアンホテル全景。水の都ベネチアの再現です。(ホテルのHPよりの画像)
    何しろホテルの中に運河があり、ゴンドラが行き交いします。

      宮殿のようなベネチアンホテルの輝くロビー。

  ベネチアンの2Fにあるフードコート広場。世界の料理が楽しめます。

  話題の最新スポット「シティーオブドリームス」入口にある巨大な水槽  の中を泳ぐCG美女。

    MGMグランドホテル入口ロビーに置かれているダリの彫刻。

    MGMグランドホテル中庭にあるオープンレストランにて。

マカオは、ホテル巡りだけでも楽しく、2〜3日ぐらいでは、とても回り切れませんね。
それにしても、中国人は金持ちになったと云う事をつくずく実感した、今回のマカオ紀行でした。

2011年5月17日火曜日

石田巳代治 アートを着物に!



過日、石川国際交流サロンで開催された「石田巳代治 アートを着物に!」を観た。
石田さんは、私と同じ故郷出身であり、同じ中学・高校の1年後輩でもあり、今でも親しい間柄です。卒業後、彼は友禅作家へ、私はデザイナーへと道は違いましたが、お互い一生懸命自分の道を切り開いてきた同士として尊敬しております。
今回は、金沢から「アート着物」を発信する新しい挑戦です。アート画像をパソコンに取り込み、反物に印刷するという試みです。4人の協力でアート着物8点が完成し展示されていました。
加賀友禅は、伝統産業でありますが現代の着物離れなどで苦しい状況にあり、その中から新しい着物の表現方法の一つとして、石田さんは全国へ広めて行きたいと願っています。


●石田さんに興味の有る方は、http://po4.nsk.ne.jp/~m-ishida/index.html

2011年4月18日月曜日

シャクティ公演[銀河鉄道の夜]。



    競演者で国際的に活躍するエンターティナー ミカ・ハカ氏

     公演後の舞踊家シャクティさん(中央)と旦那さま(右)

16日、京都府立文化芸術会館で公演された「銀河鉄道の夜」を観た。
私が25年前から応援している友人の日印混血舞踊家シャクティさんから、公演に招待されたからです。
ご存知のように
「銀河鉄道の夜」は、宮沢賢治原作ですが、シャクティ&ヴァサンタマラ印度舞踊研究所が“生と死と愛の幻想と副題をつけて公演した舞踊です。
シャクティさんは云います「宮沢賢治は生と死の問題に魅了されました。私もです! 人生は死に至る旅です。素晴らしい旅です。そして、死は銀河鉄道の終着駅なのです。その向こうに何が待っているか、誰も知りません。でも、私たちは進むのみですと・・・。
今回は、ニュージランド・マオリの血をひく国際的に活躍するエンターティナー ミカ・ハカ氏をゲストに迎えて競演し、エネルギーあふれる舞台となり圧倒されました。

    私がデザインした18年前のシャクティ金沢公演のチラシ。

●Shakti シャクティ
日印混血の舞踊家。エロスとタナトス、生と死をテーマに踊る。主に海外で活躍し、90年代半から今日迄「クィン・オブ・ザ・フリンジ」と呼ばれ「魂を揺さぶる衝撃の舞踊家」と各国で賞賛されている。
●Mika Haka ミカ・ハカ
ニュージランドのアオテアロハ島で誕生。オークランド在住。マオリの女王、英国チャールズ王子の前で歌い、喝采をあびる。マオリの魂をもつ「ダイナミックなゲイ・マオリ・エンターティナ」として世界を舞台に活躍。

●興味のある方は、
 http://www.shakti.jp/
 http://www.thegarageinternational.com/VIDI/index.htm



2011年4月12日火曜日

冨岡 省三の目 写真展 ―刻のすがた―。

         一見 抽象画のような不思議な写真。


           個展会場で富岡先生(左側)と。

先日「冨岡 省三の目 写真展―刻のすがた―」を観た。
一見、抽象画のように見える大胆なアップ写真に惹かれました。写真は、目に見えるものが当然写るのですが、目に見えないものがなんとなく感じられるそんな感じです。
富岡先生の案内文には、こう書かれています。「今思えば、石川国際交流サロンの開所以来お世話になっています。 そして毎年目標をたてながら、個展を開いています。 齢を重ねるごとに、いつしか一期一会・諸行無常・温故知新・一意専心の四字熟語の意味することが理解できるように思えます。 今年は10年目という節目を迎えることに感謝しています。 以来 お知り合いになった、書家 水野博龍先生が私の気持ちを書に託してご出品いただきますことに感謝を申し上げます」
展覧会は、もう終了しましたが印象に残る写真展でした。

●石川国際交流サロンのホームページは、
 http://www.ifie.or.jp/japan/facilities/salon/home_salon.html

2011年4月11日月曜日

富永和雅・かずよ染織展。

           個展会場で富永かずよさんと。
            現代的な商品も沢山有りました。

春になると多くの友人・知人が個展を開催される。お陰で私は、楽しいギャラリー廻りで忙しくなります。
「金沢・クラフト広坂2Fギャラリー」で4月10日まで開催された【富永和雅・かずよ染織展】の富永ご夫妻も昔からの友人で、この加賀友禅の地で苦労して草木染の【天加織】を開発された方です。
DMのタイトル副題に[糸へのいたわり、織へのこだわり]とあります。また、案内文には「金沢の南—美しい自然の中で、天然素材にこだわり、染めて織ることを積み重ねて生まれた二人の作品。長い冬、待ちこがれた春。その息吹をそのままうつしとったかのような春の力が感じられる作品との出会いをお楽しみくださいませ」とあり、お二人の人柄がそのまま文章になったようです。

●金沢・クラフト広坂2Fギャラリーに興味の有る方は、
 HPヘアクセスを。http://www.crafts-hirosaka.jp

2011年4月7日木曜日

尾田伊生さんの家具展。

         オープニングパーティで尾田さんと。

先日、石川県立伝統産業工芸館で開催された尾田伊生さんの家具展【木があたえてくれた世界】のオープニングパーティに行って来た。
沢山の友人・知人が集まっていて、尾田さんの人気の高さが分かりました。明日からイタリアへ20日ほど旅に行ってくるのだと嬉しそうに話していたのが印象的でした。
尾田さんとは、随分前からの付合いですが、工房が我家から車で5分ぐらいの卯辰山の麓にあり、時々工房を訪ねます。我家の茶室のテーブルも昔 尾田さん依頼して作ってもらったものです。
尾田さんの家具は、何気ない作りに見えますが、どこか洗練された魅力があるので不思議ですね。

2011年4月4日月曜日

我社創業40周年記念日。

       金沢ニューグランドホテルオープン予告ポスター
       ( 5月開業なので緑の空に、周りの帯の色は銀色 )

今年の4月1日(エイプリルフール)が、我社の創業40周年記念日でした。
よくぞ長持ちしたものだとつくづく思う。もっともかって8人いた社員は、今は誰もいなく、私と妻の2人の会社となりましたが・・・。
妻と2人でささやかなお祝いのと云うか、ご苦労さんと云うか 慰労の食事会を「宝生寿し」でしました。
40年前からのクライアントの一つに金沢ニューグランドホテルがあります。写真で紹介する「ホテルオープン予告ポスター」が始めての仕事でしたが、今も仕事をさせて頂いている事にあらためて感謝します。
また、創業5年後に無謀にも社屋を建てて返済に苦労した日々も、今は懐かしく感じます。社屋を銀色にして「銀はうす」と名付け、やがて「金はうす」になる事を目指して頑張りましたが、残念ながら今も銀色のままですが、それなりに楽しいエピソードです。
創業日を記念して、流れ去った40年の日々に乾杯!

     創業時から5年後、建設した我社の社屋「銀はうす」